大正13年発行の須須神社誌によると、
当時キリコは6本出ていた。
大浜組
川上組
本町組
下出組
大湊組
上野組
「高さ4間の切籠が出る盛大な祭礼で、珠洲はもちろん鳳至郡の大部分よりも参拝した」
川上組と本町組が合併して「川本」になった。
大湊組(塩津組)と上野組が合併して「塩津上野組」になった。
下出組も、さらに遡ると、「下谷組」「出村組」に分かれていた。
古老の伝承によると、
現在の「川本組」は、山の方に、もう一つ部落があり、もう一本出していた。
つまり、計8本の時代があった。
詳細は分からない。
調査継続中。
いずれにせよ、「記録」に残すことは、とてつもなく重要である。
100年以上前のことが「記録」によって分かる。
現在のことも、
「記録」に残さなければ子孫達は分からない。
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