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三崎のイルカ詣り(北國新聞に大きく載る)

三崎のイルカ詣りについての文献の一つが、「能登名跡誌」である。


加賀藩士、太田頼資(道兼)が今から243年前(1777年)に著した。

能登半島を海岸沿いに時計回りに一周した道兼は、当然、寺家も訪れた。

そこで、こんな話を聞き、書き留めた。


「ある時、権現(須須神社の神様)、《獅子いるか?》と宣いしに、イルカという魚有りて答しより、権現の使者イルカといえり。今もこの魚を食すれば三年社参を忌む也。《イルカの三崎詣り》という事あり」


ダジャレのような話だが、返事一つで神使になったイルカと返事をしなかったばっかりに、その座を奪われた獅子。


当時は沢山イルカが居ただろう。珍しくなかっただろう。


ところが陸からなど全く見られなくなって、伝説の存在すら忘れ去られた頃、ひょこっと現れた。


「今もこの魚を食すれば三年社参を忌む也」


大昔、三年どころか数十年分数百年分、イルカを食べまくったか、いじめまくった為、そのトラウマが消えるまで《三崎のイルカ詣り》に来なかったのかもしれない。

他の文献には、「食した者は癩病になる」と。。


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