top of page

三崎ドルフィンズ誕生物語

昭和末期まで、三崎中学校野球部は、強制的に丸坊主であった。

昭和63年(1988)、突然方針が変わって廃止された。教員免許取得前の若い顧問のおかげだろうか?


髪型がどうであれ、野球部は弱かった。真面目にやっても弱かった。

バスケットボール部は、ダラダラやってもそれなりに市内では強かった。


それでもなぜか、「寺家のもんは、野球部に入らなければならない」と言われていた。

しかも、「キャプテンか副キャプテンにならなければならない」と言われていた。


テニス部など、もってのほか!

「テニス部」というだけで軽蔑されるような雰囲気すらあった。


平成3年、中体連の珠洲予選で、緑ヶ丘中学校に歴史的大敗を喫した。

応援に来ていた三崎の人々も、さすがにまずいと気付いた(三崎中学校の教師達はそもそも野球に興味がなかった)。


こうして、「小学校から野球部を始める」為、粟津小学校(現、みさき小学校)に、学童野球クラブ「三崎ドルフィンズ」が誕生した(三崎地区のみ、学童野球がなかった)。


知ってか知らずか、おそらく偶然だったと思うが、


【ドルフィン】の名を冠することになった。


やはり、三崎権現のお導きであったとしか思えない。


閲覧数:39回0件のコメント

最新記事

すべて表示

果たして、この度なんの「むくひ」で津波が起こったのか

石川県民必読の月刊誌「加能人」4月号(4/11発売) コラム「のともんだより」を執筆しました。 原稿を載せます。 令和6年元日、年が明けてようやく終わった大掃除に一息ついて2階の自室から海を眺めると、県道をジョギングする人が見えた。のどかな風景の中、アイスクリームの蓋を捲った瞬間、椅子を突き上げるような縦揺れがドンと来た。 すぐ外に出た。いつもの海だ。若い男性は何事もなかったかのように走り続けてい

Comments


bottom of page