昭和末期まで、三崎中学校の女子部活動は、
「バレーボール」
「ソフトボール」
「ソフトテニス」であった。
ところが、平成になってバスケ馬鹿ともいうべき熱血男性体育教師がやって来た。
そのまま男子バスケットボール部顧問に就任すれば良かったのに、当時、校長が男子バスケ部に口出ししていたので、避ける為、女子バスケットボール部をわざわざ創部した。
結果、それまで毎年珠洲市郡大会で優勝していたバレー部もソフトボール部も、連勝がストップした。テニス部もそこそこ強かったが弱くなった。
それもそのはず、部の数が増えたことで選手層が薄くなったから。

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