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寺家の上堂、塩津の刀禰と身代比べに夜が明けた

更新日:2021年6月13日

寺家の二大財閥は、

今も昔も「(職業階層としての)寺家」の上堂家(現、三崎家)と、

塩津港の刀禰家(現、葭ヶ浦温泉ランプの宿)である。


言い伝えでは、

ある時、どちらが、より財産を持っているか、比べてみることにした。

人足、土地、船等々、交互に順に並べていったが、なかなか終わらない。

とうとう夜が明けてしまった。

そんな話が伝わっている。

結局、どっちかが、シャモジ一本とか鍋の蓋一枚の勝ちだったらしい。



三崎家は、大百姓であった。

明治以降代々「三崎郵便局長」を務めた。

金田一京助を見ても浅見光彦を見ても、その土地の資産家は郵便局長をしている。


嘉永6年(1853)、

加賀藩主前田斉泰公能登巡見の折には、【御泊御本陣】に仰せつけられている。


一方、刀禰家は、海運で栄えた。

奥能登の北前船の有力な船主であった。

現在、ミシュランガイド3つ星プラス「ランプの宿」経営。


現在の「みさき小学校」は、元「粟津小学校」であったが、

明治8年の創立時、刀禰伝兵衛家宅を借りて、寺家小学校(温和小学校)として始まったものである。


そういった意味で、寺家の人々は、先祖代々、皆、この二家の御世話になっている。


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