令和のみさき小学校は知らないが、昭和の粟津小学校には、変な教師が沢山いた。
給食は必ず残さず食べさせる教師がいた。
けれど、「肉」がどうしても食べられない女子児童がいた。
給食時間が終わっても食べられない。
昼休み時間中もずっと食べる努力を続ける。
そのうち、掃除の時間が始まる。
その時間帯になってようやく解放される。「肉」を捨てることが許される。
その女性担任は、持ち上がりだったので、「肉地獄」が2年間続いた。
別の女性教師の話。
昭和の時代は、毎日風呂に入る習慣がなかった。一日おきとか、そもそも風呂がない家もあった。
ある時、風呂はあったが壊れて入れない女子児童がいた。
「○○さん、なんでそんな臭いがー?風呂ないがー?」
皆の前で。
デッカい声で。
放課後、担任の言葉に影響されて、その女子児童の風呂を見に行く児童もいた。しかも土足で。
どちらも、定年まで勤め上げた。
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