10年程前、柳田村の当時40代男性と話す機会があった。
曰く、
「寺家はキリコがデカいと言っても、タイヤが付いているから(キリコというより)山車ではないか」と言ってきた。
「柳田村は、担いでいるのか?」と聞くと、
まどろっこしい、遠回しの説明をするので、聞き出すのに時間がかかったが、要するに、
【遠方から出身者が多く帰って来たり、近隣から応援人足が多く集まった年(めったにないらしい)は、村のキリコの内、一本ぐらいは、タイヤを外して、担ぐ時が今でもある】
という主旨の事を言っていた。
その奇跡的なタイミングを「村の誇り」としているようだった。
さらに、
「寺家キリコは、中部電力のお金で造った」と言ってきた。
「寺家キリコは、氏子達が全額出した」と説明しても、納得しなかった。
論争になった。
「寺家原発問題が大きな社会問題になる前に、既に、寺家の【日本一のキリコ】は誕生している」
「費用を出して貰うなどあり得ない」
「原発計画(凍結は平成16年)でお騒がせしたお詫びとして、中部電力が建てたのは、【寺家キリコ】ではなく、【寺家キリコ倉庫】である」と説明しても、1ミリも納得しなかった。
「思い込み」の激しい人間は、どこにでもいるものである。
そういった他の地域からの「僻み妬み」を打ち砕くためにも、やはり、
「記録」を残すこと、
「情報発信」することは、
とてつもなく重要である。
「記憶」は必ず「風化」する。
【現時点で、キリコに限らず、「忘れ去られた寺家の記憶」は山ほどあるだろう】
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