珠洲郡と鳳至郡 珠洲はなぜ出稼ぎが多かったのか 【後編】
- 管理人
- 2021年6月22日
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そこで、珠洲の人達は、次男以下も、なるべく金沢に出て行かなくてもよい方法を思い付いた。
長男が田畑財産を一括相続することを緩めて、次男以下にも分けることにした。当然、その分、生活は苦しくなった。
補う為、出稼ぎに行くことにした。
故に「能登杜氏」が増えた。
現在、状況は変わって、他地方出身者も出て来たが、
本来、「能登杜氏」は、「珠洲郡出身者」ばかりであった。
昭和29年に県内5番目の早さで、「珠洲市」が誕生したのは、出稼ぎによって人口を支えていたからである。
寺家でも、昭和末期まで軒並み出稼ぎに行っていた。
柳田村(鳳至郡)は長男一括相続を貫いた。故、1軒あたりの収入は大きいが、人口は少ない。
面積を比べると、
「珠洲郡」の2倍以上、「鳳至郡」はある。
「郡」の面積は、「人口」によって決められていた為、人口の多い「珠洲郡」は、人口の少ない「鳳至郡」の面積の半分以下になったのだ。
冒頭の話に戻ると、
「貧乏だったから出稼ぎが多かった」のではない。
「皆で共に暮らす為に、【出稼ぎ】を選んだのである」
加えて、珠洲は、もともと海幸山幸に恵まれた豊かな土地である。
盛大な祭りが出来るのは、豊かだからこそである。

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