寺家コラム

​​このページでは、寺家に関する知識、情報ネタをお届けします。​

目次

​▶︎寺家・須須神社を訪れた主な人々

▶︎寺家地名考

​▶︎寺家出身の大人物

 

寺家・須須神社を訪れた主な人々

古来より神護の地、文化の交わる地として発展してきた寺家・須須神社には、数々の歴史上の人物、現代の著名人の方々が多く訪れています。こうして振り返ってみるのも一興です。

◆方道仙人……6世紀半ば、天竺(インド)霊鷲山から紫雲に乗って来日した。播磨(兵庫県)で開山開基として多くの寺院を建立した後、晩年を珠洲岬で過ごした。方術を駆使し「飛鉢の法」を得意とした。方道「能く登る」故事から国名「能登」が生まれた。

◆平時忠……「日数ふれば能登国鈴御崎に着き給ふ」『源平盛衰記』

◆源義経……奥州に落ち延びる折、暴風雨が静まった礼として愛用の横笛を奉納。

◆武蔵坊弁慶……同じく守り刀を奉納。

◆上杉謙信……グルメである謙信公は三崎町大屋の米を気に入り、刀禰四郎右衛門家(能登有数の北前船主。現在ランプの宿)の船で越後まで運んで毎年食べていた。

◆前田利家……加賀藩祖。「判官殿この笛をこの須須の社に捧げ給へるとなん 在りし世のそのあらましを聞くからに袖さえ濡れて音にそ泣かるる」

◆金子鶴村……鶴来出身の儒学者。『能登遊記』文化十三年(1816)旧暦4月18日、寺家の浜から「海に昇る朝日、越中越後佐渡の山々を望み、遠く朝鮮半島・大陸に思いを馳せた」この時の感動を漢詩・絵図にして残している。

◆前田斉泰……加賀前田家13代。幕末の藩主斉泰公能登巡見時、寺家の上道徳右衛門家(現三崎家)が《御泊御本陣》となった。

◆西谷啓治……宇出津出身の世界的哲学者。西田幾多郎の弟子。「……例えば須須神社のあたり、……古代の風光の跡をまだ残している」

◆吉川英治……国民文学作家。『新・平家物語』執筆時、ランプの宿を訪れた。当主は平家に加勢した近江堅田の刀禰水軍末裔

◆村上元三……直木賞作家。昭和41年大河ドラマ「源義経」原作脚本。記念石碑「義経は雪に消えたり須々の笛」

◆阿久悠……作詞家。都はるみ「北の宿から」はランプの宿で生まれた。

井上梅次……映画監督。生涯で二百本以上監督した。代表作「嵐を呼ぶ男」(石原裕次郎出世作)。寺家漁港で『暗号名 黒猫を追え!』のクライマックスシーンを撮影した。

柴俊夫……俳優、司会者。映画『黒猫を追え!』主演。寺家出身の網元の次男、警視庁警視野々村志郎を演じた。高速船で寺家沖を逃げて行くスパイを、ヘリコプターで追跡した。

森次晃嗣……俳優。「ウルトラマンセブン」(モロボシ・ダン役)。映画『黒猫を追え!』では、網元を継ぐ為寺家に残って漁師になった、家族想いの心優しき長男野々村徹役。

田中美佐子……女優、タレント。島根県知夫郡(現・隠岐郡)西ノ島町出身。映画では、寺家網元、野々村家の末娘役。東京でニュースキャスターとして活躍し、恋より仕事に生きる強い女性京子を演じた。

佐藤竹善……SING LIKE TALKING ボーカル。能登半島沖地震(1993.2.7)直後、旧知のランプの宿主人刀禰秀一氏の元を訪れ、ラジオ生放送を行う。

松任谷由実……シンガーソングライター。石川県観光ブランドプロデューサー。荒井由実時代から、度々石川県を訪れ、ランプの宿に何度も宿泊している。大ヒット曲「真夏の夜の夢」は寺家の海を見ながら創られた。

◆美内すずえ……漫画家。『ガラスの仮面』。「O-EN NETWORK」主宰。

◆安部龍太郎……直木賞作家。『等伯』『半島をゆく』

◆谷本正憲……石川県知事「寄り道パーキング寺家」碑揮毫。

◆常盤貴子……NHK連続テレビ小説「まれ」撮影時(平成27年【2015】)、高座宮・奥宮個人参拝。悠久の時の流れを感じる。

◆相川七瀬……歌手。「夢見る少女じゃいられない」  芸能生活25周年の際に黒松献木。

◆瀬戸康史(計画のみ)……俳優、タレント。平成30年(2018)の例祭が「美しい日本に出会う旅」のロケ地に選ばれた。下出でキリコ、ヨバレ体験の準備がされていたが、夜半からの大風警報によりキリコ巡行が中止になり、実現しなかった。急遽同日市内大谷キリコ祭りに内容変更になった(寺家と異なり、日中始まり夜半前に終了する為)。

◆徳前藍……テレビ金沢アナウンサー。プライベートで訪れ、例祭の神秘性に感動する。

 

寺家地名考

「寺家」という地名の由来について。

公家(貴族)、武家(武士)と並んで、寺家(僧侶。神主も含む)という言葉は中世から使われていた。

《大辞泉》にも、
寺家
①てら。寺院。
②寺の者。また、僧侶。
とある。

かつて「寺家」は「方上保(かたがみほ)」と呼ばれていた。「潟上の庄」の意味か。

天平勝宝年間(749年から757年)に、「須須神社」が山伏山(鈴ケ嶽)山頂から里に遷座し、寛弘元年(1004年)、後に「三崎の大寺」と呼ばれる天台宗高勝寺が創建された。社寺が集まったことにより、「寺家」が増え、いつしか地名が、方上保から、寺家になった。18世紀後半、加賀藩士太田頼資も「三崎権現の御門前にあり。故に寺家の名あり」と能登名跡誌に記している。

寺家という地名は全国に12箇所ある。

石川県珠洲市三崎町寺家、石川県羽咋市寺家町、富山県富山市寺家、富山県滑川市寺家町、富山県南砺市寺家、横浜市青葉区寺家町、静岡県伊豆の国市寺家、三重県鈴鹿市寺家町、兵庫県加古川市加古川町寺家、兵庫県姫路市白浜町寺家、広島県東広島市西条町寺家、高知県長岡郡本山町寺家。

石川県羽咋市寺家町に、気多大社が鎮座するように、どの「寺家」にも地域の主要な社寺がある。

​『三崎』

全国に「三崎」という地名は多数ある。そのどれも本来は「御崎」と書いた。民俗学者新谷尚紀によると、
「海に突き出た土地【崎】はかつて、神、天皇の持ち物だと考えられていた。故に、御崎(みさき)。だが、それを憚って三崎(みさき)と表記するようになった」

珠洲市三崎町は、「三つの崎があるから三崎という地名になった」という説も存在する。
金剛崎(三崎町寺家葭ヶ浦)
遭崎(三崎町寺家塩津) 
宿崎(三崎町高波)又は、長手埼(三崎町小泊)

だが、明治41年8月に三崎村と鉢崎村が合併し、「三崎村」が誕生した。それ以前の三崎村は、寺家粟津大屋森腰であり、鉢崎村の高波(宿崎)、又は、小泊(長手埼)は含まれていない。故に、神々が住する地「御崎」が、能登半島最先端の地「寺家」(金剛崎、遭崎)が、「三崎」になった可能性が高いと思われる。

高座宮(たかくらぐう)
高倉彦神を祀る。
高低差のある急な崖地を古い大和言葉で「くら」という。平安時代以降「倉」と当て字された。したがって「高倉」は高い崖。

他に、高御座(たかみぐら)説。高句麗説、高倉をコウクリと読み、朝鮮半島にルーツを求める。

珠洲

様々な説がある。

○鈴説……須須神社奥宮が鎮座する神奈備、山伏山を海上から見ると「鈴を逆さ」にしたように見えるという。高倉宮主神瓊瓊杵尊が降臨した際、鈴を以てこの地を鎮めた(須須神社社伝縁起第一)。鈴の万葉仮名が須須で、その佳名が珠洲。

○御穂須須美命説……奥宮、高座宮に祀られる御穂須須美命は、出雲の美保神社にも祀られている(出雲国風土記《国引き神話》出雲の美保関と高志「北陸」の珠洲岬)
御穂→美保 須須美→珠洲
この縁で島根県美保関町(現松江市)と珠洲市は姉妹市になっている。

御穂須須美の由来①…御穂須須美命「ミ(接頭語)・ホ(穂)・スス(稲穂を振って音を出す様子)・ミ(接尾語)・ノ(助詞)・ミコト(神)」

御穂須須美の由来②…御穂須須美の「ミホ」は美しい稲穂、ススミは「進む」の連用形が名詞化したものなので、美しい稲穂の実りを進める神。

御穂須須美の由来③…御穂須須美命は美穂と烽。烽は狼煙の古語。

御穂須須美の由来④…美保珠洲見命「美保が珠洲を見る」
御穂は共通して稲穂だが、須須美は「美」の解釈が分かれる。

いずれにしろ、出雲の「美保」と、高志(北陸)の「珠洲」は日本海を隔てて神代から交流があり、両土地の結び付きを示す神名である。
○アイヌ語説……スズ「先っぽ」、ノト「あご」
○聖地説……ススは「神聖な」という意味。変化してスズ。

​小字については、以下のとおり。

「金剛崎(珠洲岬)」……地球上で最も硬いものはダイヤモンドだが、宇宙一硬いものは仏教用語で金剛といわれる。日本全国半島の最先端は金剛の名が付けられている。

「葭ヶ浦(よしがうら)」……ヨシ(葦、葭)が生い茂る浦。
「上野(うわの)」……海岸沿いの低地(下出)に対して高台にある。朝廷に馬を献上した牧場(駒尾という地)があった。
「塩津(しおつ、しょっつ)」……塩田の塩を出荷していた港。
「下出(しもで)」……下谷(しもや)と出村(でむら)が合併し生まれた。

「出村(でむら)」……本村から分離独立した村。分出した村。かつては塩田が多くあった。

「下谷」……高台(上野)に対して、海岸沿いの低地にある。
「川本(かわほん)」……川上(かわかみ)と本町(ほんまち)が合併し誕生。

「川上」……清治川の上流地域。中世の珠洲焼窯跡(寺家黒畑)が残る。

「本町」……清治川の下流地域(最初に人が住み始めた地か?)
「大浜(おおはま)」……大きな砂浜。長浜(粟津森腰)に対して寺家の大浜。大浜大豆の発祥の地といわれる。

 

寺家出身の大人物

三崎鬼次郎……一向一揆に参戦し、越前の朝倉宗滴と九頭竜川で戦い、勇名を轟かせた。『朝倉始末記』永正三年【1506】
順諦〈専念寺〉・猿女友能〈須須神社〉……加賀藩、廻船主に働きかけて、三崎浦〈寺家漁港〉の防波堤築造、常夜燈設置を成し遂げた。文政二年【1819】から天保四年【1833】

若狭吉右衛門……義民。寺家村肝煎。「天保の大飢饉」の際、姫島で難破した御用船の濡米を引き上げ、「捨てるよりは」と飢えた農民に施した。後に加賀藩により罪を背負わされた。一身を犠牲にして村民を救った吉右衛門は下出本宮神社に神として祀られた。
北角方見……上野。若くして北海道札幌市に渡り、商売を成功させ土地を購入した。のちに鉄道が通り巨万の富を掴んだ。昭和48年【1973】方見翁84歳時、故郷に大鳥居石燈籠を寄進した。
◆刀禰秀一……塩津上野。ランプの宿主人。刀禰家現当主。天正6年(1578)創業(上杉謙信の能登攻め直後)、以来442年続く奥能登の秘湯を《日本を代表する宿》に育て上げた。奥能登国際芸術祭発案者。珠洲商工会議所会頭。
泉雅博……下出。歴史学者。跡見学園女子大学文学部長 『海と山の近世史(2010)』 NHK『新日本風土記(2020)北前船の贈りもの、北前船の旅人たち』出演。
東照二……大浜。社会言語学者。米国ユタ大学教授 『言語学者が政治家を丸裸にする(2007)』

新出勝秀……下出生、川本在。小学生横綱。両国国技館で行われたわんぱく相撲全国大会において個人優勝の栄誉に輝いた。金沢東高校相撲部主将。ブラジル遠征。後輩「遠藤」を教え導いた。