歴史・文化

寺家 歴史・文化MAP

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1. 須須神社周辺

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専称寺跡

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須須神社(三崎権現)

国幣小社(延喜式神名帳) 県社(旧社格)

御祭神:高座宮=天津彦彦火瓊瓊杵尊・美穗須須見命、建御名方命、保食神、武甕槌命

    金分宮=木花咲耶姫命

​文化財

○木造男神像五体(鎌倉時代):現在国指定重要文化財(戦前までは国宝)

○源義経愛用の蝉折れの笛:武蔵坊弁慶の「左」銘入りの守り刀 古文書多数

○須須神社社叢(国指定天然記念物):

2017年の例祭の直前、歴史を見守って来た参道沿いのスダジイの巨木(樹齢500年超)が倒れました。2018年には、甲虫類の新種「ホソヒゲカタアリヅカムシ」が発見されてもいます。ほぼ手付かずの「千古の森」を後世に残す為、より一層の保護管理が叫ばれています。

寺家漁港(三崎浦)

能登半島の最先端に位置し、天然の良港であるこの港は、かつては北前船の重要な寄港地として大いに栄え、江戸後期には年間約4000艘が全国からやって来ました。

珠洲焼や塩等が積み出され、各地から物資だけではなく、先進の文化、民謡(出雲節)、方言等も運び込まれました。

三崎のイルカ詣り

昔々、三崎権現は天から獅子の背に乗って降臨し、寺家に御鎮座なさいました。

しばらくして、他の海辺の地にも行こうと思い立った権現が、「獅子ゐるか」と呼びました。折しも獅子は長旅で疲れ果て居眠りをしていました。

「ゐるかーゐるかー」

何度呼んでも返事がありません。権現が困っていると、偶然通りかかったイルカが「自分が呼ばれた」と思い、返事をしました。権現はイルカに乗り換え去って行きました。

その日からイルカは神使に大出世。獅子はリストラされ、自らを恥じ岩と化してしまったのです(1814年秋崩れ根石のみ残る)。

それ以来、能登では縄文時代から食されていたイルカが寺家では食すことが禁じられました。

今でも例祭日には大鳥居の前まで詣りに来るといいます(昭和30年代に実際に見た人がいます。寺家沖では今でも漁師によって頻繁に目撃されています)。

専念寺

真宗大谷派。慶長7年(1602年)長玄によって創建された古刹。藩政時代、寺内の《涸れない井戸》は北前船の船乗り達に重宝された。寺子屋も開かれていた。