昭和37年のキリコ写真を見ると、塩津上野組は当時から「篤恩義」を掲げている。
字も絵も定期的に替えるのが一般的だが、「篤恩義」は少なくとも59年ずっと使い続けている。
以前、寺家の古老と話した時、「【篤恩義】が一番いい。字の意味も筆の運びも」
全く同感である。
その時、「塩津上野組の先代のキリコは外浦から買い取ったもの。篤恩義はその地区で既に使われていた」
お盆の墓参り時、前大区長上野の谷口さんに詳細を聞いた。
「先代の塩津上野組のキリコは、輪島市大川から買い取った。篤恩義は大川で使われていた字。現キリコでも引き継ぐことにして、そのまま拡大コピーした」
つまり、戦後、寺家が買い取ってから数えると、70年ほど使っている。
さらに、戦前の大川時代から数えると、80年以上使っている。実際はもっともっと遡るかもしれない。
大川地区には、漢文教養のある方、書の名人がいたことになる。
その先人の志が、土地は変われど生きている。
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