top of page

恩義に篤し

昭和37年のキリコ写真を見ると、塩津上野組は当時から「篤恩義」を掲げている。


字も絵も定期的に替えるのが一般的だが、「篤恩義」は少なくとも59年ずっと使い続けている。


以前、寺家の古老と話した時、「【篤恩義】が一番いい。字の意味も筆の運びも」


全く同感である。


その時、「塩津上野組の先代のキリコは外浦から買い取ったもの。篤恩義はその地区で既に使われていた」



お盆の墓参り時、前大区長上野の谷口さんに詳細を聞いた。


「先代の塩津上野組のキリコは、輪島市大川から買い取った。篤恩義は大川で使われていた字。現キリコでも引き継ぐことにして、そのまま拡大コピーした」


つまり、戦後、寺家が買い取ってから数えると、70年ほど使っている。

さらに、戦前の大川時代から数えると、80年以上使っている。実際はもっともっと遡るかもしれない。


大川地区には、漢文教養のある方、書の名人がいたことになる。


その先人の志が、土地は変われど生きている。


閲覧数:73回0件のコメント

最新記事

すべて表示

果たして、この度なんの「むくひ」で津波が起こったのか

石川県民必読の月刊誌「加能人」4月号(4/11発売) コラム「のともんだより」を執筆しました。 原稿を載せます。 令和6年元日、年が明けてようやく終わった大掃除に一息ついて2階の自室から海を眺めると、県道をジョギングする人が見えた。のどかな風景の中、アイスクリームの蓋を捲った瞬間、椅子を突き上げるような縦揺れがドンと来た。 すぐ外に出た。いつもの海だ。若い男性は何事もなかったかのように走り続けてい

bottom of page