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果たして、この度なんの「むくひ」で津波が起こったのか

更新日:2 日前

石川県民必読の月刊誌「加能人」4月号(4/11発売)

コラム「のともんだより」を執筆しました。

原稿を載せます。


令和6年元日、年が明けてようやく終わった大掃除に一息ついて2階の自室から海を眺めると、県道をジョギングする人が見えた。のどかな風景の中、アイスクリームの蓋を捲った瞬間、椅子を突き上げるような縦揺れがドンと来た。


すぐ外に出た。いつもの海だ。若い男性は何事もなかったかのように走り続けていた。自室に戻り食べようとすると又ドカンと来た。なかなか収まらない。次々と本棚が倒れた。さすがに立っていられず尻餅をついた。幸い我が家はなんとか持ち堪えたが、既にいつもの海ではなかった。波がどんどん引いていく、あり得ないぐらいスコーンと沖まで引いた。


「津波が来る」その時、隣家の妹が駆け込んで来た。「お姉ちゃんを助けて」歩行困難な女性を乗せる為、車を出そうとしてドアが開かない、鍵を取りに戻って振り向くと、津波で車が流されていた(その間、30秒から40秒)。隣に急ぐと玄関先の姉妹が、「波間に見え隠れする小岩」の上に佇む2羽のカモメに見えた。「担ぐしかない」姉を背負って妹を連れて、波をジャブジャブいわせながら突き進み、100段の「ようもん坂」を一気に駆け上がった。


我が珠洲市三崎町寺家下出地区は、2011年7月から他に先駆けて自主的津波避難訓練を続けていた。結果、5歳から90歳までの住民、帰省客、須須神社参拝客含めて約200人がケガもなく全員無事。訓練の賜物といっていいだろう。とはいえど、実際に津波が来るとは誰も思っていなかった。

三崎町寺家地区は最大津波13.5mが予想され今回は4m超の津波が来た(第一波は約2.7mの堤防を越えることはなかった)。


県内最大20.0mの津波が予想されている同町雲津地区にはある伝承が残る(近隣には「高波(こうなみ)」地区もある)。


「此雲津村、昔は此邊の津にて数千軒有し所也しに、或時『猩々』と云もの海よりあがり遊びしを殺せし其『むくひ』にて、津波ありて人家のこらず退転せし也」

『能登名跡志』安永6年(1777)太田道兼




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