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敢えて、キリコ祭りを問う

2008年秋、ラポルトすずで「キリコフォーラム」が開かれた。登壇した藤平朝雄氏(キリコ会館元館長)が「奥能登では過疎化によりキリコの担ぎ手が居なくなった。だからと言って大学生、ボランティアに担がせれば祭りが荒れてしまう。延命治療するより、誇りをもって、キリコを終うべきではないか」と発言した。驚いた。けれども真実だと当時思った。


コロナ禍、地震禍を経て、17年後の今年8月31日。同じくラポルトすずで、大地震が続いた2023年2024年の珠洲市が舞台になった、ドキュメンタリー映画「凪が灯るころ」を見た(大ホールが満席になり、急遽小ホールでも上映。宝立、蛸島、寺家のキリコが登場)。ラストで、寺家住民が、瓦礫を眺めながら「やっぱり祭りせにゃダメやろ」というセリフで終わる。「キリコ祭りの復活こそが珠洲の復興」というストーリーを追いながら、改めて「キリコの終焉」を感じた。


同日、須須神社拝殿で祭り寄合が行われた。「祭りが好きだから」と地元に残った住民同士が何度話し合っても結果は同じである。「通常開催」が決定した。遡って昭和期、不作不漁不幸が続けば、祭りは中止した。「祭りがしたい」という声があっても突っぱねた。「大人」がまだ居たのである。


キリコを動かす為に、地震津波で壊れた、海沿いの県道修復が8月下旬急ピッチで進められた。そして、祭り初日(9/13)。家が無くなった風景をキリコが巡行した。漁港に夜店(11)も出て、花火も上がり(中部電力スポンサー1989年以来)、発災前より賑わったかのように見えた。けれども、大半は復興ボランティアであり、「自己実現」の為、被災地珠洲に一時的に来ている人々である。20時、風雨により中止が決定した。にも拘らず、一部が「暴走」し、揉めた。翌朝9時、急遽、神輿、太鼓山のみで残りのルートを渡御することになった。キリコも出ず、ボランティアも居なかった。「氏子」のみの静かな祭りであったが、身の丈に合った、祭りの原点だと思った。宮司や祭り狂、観光客は不満だろうが、神様は2日目こそ、お喜びであろう。



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