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「能登半島地震・防災未来公園(仮称)」実現に向けて

石川県民必読の月刊誌「加能人」5月号(5/14発売 GWで2日遅れた)

コラム「のともんだより」を執筆しました。

原稿を載せます。


今年(令和7年)に入って既に3回、東北の被災地を巡った。我が珠洲市三崎町寺家地区では、昨年7月を第1回として現時点で第4回(今年3月)まで、千葉大学園芸学部齋藤雪彦教授を中心とした勉強会が行われた(継続未定)。教授から、防潮堤、防災集団移転促進事業、寺家公園、寺家大集会所(寺家4集会所をまとめる案)など、そんな提案がなされた。聞き慣れぬ言葉に飛び付く住民も一部居たが、私自身、全く必要性を感じなかった。とりあえず東北に行ってみた。東北では確かに、どこにでも、それらが存在した。けれど、東北に必要だからといって、寺家に珠洲に能登半島に、必要だという理由にはならない。そもそも20mクラスの津波が歴史的に何度も襲って来た東北と、「1000年に1度」の地震で、最大津波高が5mだった能登(石川県調査、寺家地区)。もちろん東北に学ぶことは非常に大事だ。復旧復興の成功も、そして失敗も。岩手県大船渡市で聞いた。「急がば回れですよ。今になってそう思います」


では、何を焦ってはいけないのか。公費解体が進む中、昨年末から「古民家を遺す」という動きがようやく出て来た。私は、「震災遺構」こそ、復興の象徴になり得ると信じる。焦って解体してしまえば、土地の歴史、思い出だけでなく、未来へと繋がる「復興の光」が永久に失われてしまう。


珠洲市飯田港には、地震津波を乗り越えた「さいはてのキャバレー」が現存する。かつての佐渡フェリーの待合室だ。今年に入って不思議なご縁で、震災遺構「神戸の壁」を遺す活動をされた三原泰治さん(85)の知己を得た。その後、「GW明けに解体着手」という情報が入った。急いで、「要望書」を珠洲市、石川県、国交省に提出した。5月2日15時、珠洲市役所企画財政課で説明する。このGWが正念場である。



寺家歴史研究会 出村正幸


NHKニュース 5月2日(金)









 
 
 

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