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金沢学生のまち市民交流館にて

コロナ以前、キリコを大学生に担がせることが盛んに行われていた。


学生は、祭りの「救世主」のような扱いであった。


平成20年(2008)にラポルトすずで開催された「キリコフォーラム」でも、金沢星稜大学の女性教員が、

「双方にとってプラスになる」という主旨のことを言っていた。


「単に、当日来るだけではなく、準備段階から何回も来て、手伝い、コミュニケーションをとり、次の年も、人は変われど、同じ大学がやって来て続いて行く」と。


寺家でも、金沢大学能登学舎の人達が、【一時期、許可した組の】、キリコに繋がっていたことがあった。



フォーラム後、しばらくして、

片町にある「市民交流館」に行った時、そこの管理者の20代半ばの金大OBに、


「祭りにしか帰って来ない遠方の出身者と、都会の大学生とどこが違うんですか?」

と質問されたので、


「遠方であっても出身者は氏子だが、準備段階から協力していても大学生は氏子ではない」と答えた。


「学生が来なくなると、将来的に祭りが出来なくなりますよ」


「祭りが出来なくなっても、学生に荒らされるよりマシである」


教授に相談するというので、名前を教えた。


結局、コロナ禍では、学生助っ人は、全く役に立たない。


出た後、近くの「ひめり」に行った。なんと、若山出身の女性が経営していた。

やはり、珠洲出身者には、私の気持ちがすぐ伝わった。

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